ささやかな幸せをおすそ分け♡
医療への不信感
今更ながら、医療不信について一言。

このブログにもあるように、昨年末に祖母を失った。

秋口に体調が優れないと言い出し、癌が見つかったのが9月。
9月の半ばに手術をしたものの、既に手遅れだった。

しかも、術後の検査で、骨転移まで見つかり、前々からの腰痛の原因はそれだったということがわかった。実は、開業医に通ってはいたのだけれど、おそらく「年寄りの腰痛」としか捕らえられていなかったのだろう。母はかなり強く普通とは違うとを訴えたようだが、耳を貸してもらえなかったどころか、かなり邪険に扱われたと憤慨していた。開業医が全てそのレベルだとは言わないが・・・、少し開業医に絶望したのは確かだった。

骨転移がある場合、よく行われるのは放射線療法である。
祖母の場合にも、そのような方向で話が進んだ。
しかし、放射線療法の初診とは、なかなか予約が取れず、初診は10月終わりごろに決まった。
そして、その頃には、祖母は全身衰弱し、痛みのコントロールは麻薬をかなり大量に使用していた。とても、通院で放射線を当てれる状況ではなかった。
放射線科初診当日、放射線科外来で医師に放射線療法による利点が説明された。母も祖母も放射線療法を受けれることに期待を抱いたと思う。ところが、入院してでないと無理だと言う話になったところから状況は一変した。
うちの病院は放射線科入院はできないのだ。したがって、放射線科にお願いした整形外科入院とするのが妥当かと思われる。早速、放射線科ドクターが整形外科主治医にお願いしたそうだが、芳しい返事は得られず、整形外科受診することになったのである。整形外科主治医は、どういう理由かは分からないが、どうしても入院させたくなかったらしい。原病変の主治医である外科医に問い合わせが行った。詳しくは分からないが、放射線科医、整形外科医、外科医の間で「譲り合い」した結果、どこの科も入院させてくれず、更にひどいことには、(たぶん整形外科医が面倒になったのだと思うけれど)放射線療法の適応ではないと言い出したのだ。母は入院させてくれなくても外来で通うといったそうだが、適応がないといった手前、引き下がれず、「適応がない」で貫かれた。

私は、というと、保健所研修のため、病院にはいなかった。もし、いれば、どこの科であったとしても(例えば小児科だったとしても)入院させてあげられたのに、と思うと無念でならない。ところが、神様はいるのだ。偶然にも、断られたその日、私は当直だった。当直の看護師さんは事のいきさつを良く知る放射線科の看護師さんだった。事情を聞かされた私は当然の如く憤った。本来ならば、整形外科医のところに事情説明を求めに行くところだが、そこは割愛した。面倒だし、そんな医者と関わりたくなくて。向かったのは、うちの病院で一番信頼できる内科医のところ。全く関係ないのは分かっていたが、それでも、お願いしに行った。きっと悪いことにはならないという確信を持って。結局、その先生にお願いし、一週間遅れで放射線療法を開始した。

もしも、私がこの病院の職員ではなくて、お願いできるドクターがいなかったら・・・。
放射線科受診で持たされた希望は無残にも切り裂かれ、患者と家族の心に深い傷と医療不信の種をまくことになる。それは余りにも残酷なことだ。あってはならないことだ。

放射線療法中、入院しながら、できる限りのことを行った。
3週間で退院。

退院後は在宅医療へ移行。
以前、在宅医療に関するシンポジウムでシンポジストをしたことがあった。そのときに出会ったドクターから頂いた在宅医療ハンドブック。在宅医療に移行してから、看取るまでのことが細かくわかりやすく書かれている。この本を、私は母に託した。

11月末に退院してから、12月末に亡くなるまで、祖母は下り坂を下るように悪くなっていった。麻薬の量はそれに反比例し、どんどん増えていった。

最後の三日間、、、
祖母は夢現の中で、身の置き所のない苦しみに苛まれ、もがいていた。ここが病院ならば、鎮静(薬で眠らせる)をかけるだろう。そんなタイミングだった。しかし、鎮静をかけるには、特殊な機械や薬が要る。
ちょうど週末から3連休に入るとき。残念ながら、準備がままならなかった。
実際のところ、このような状態の時には、もがき苦しんでいるようだが、既に意識レベルは低く、苦しさを自覚することもできない状態である場合が多いように思う。家族が見ていて苦しいから、というのが鎮静をかける一つの理由なのだ。
ここで、今更、「何とかしてあげたい」と救急車を呼んだりするのはお門違いだ。そこまで自宅でがんばったのだから、最期まで自宅で看取ってあげてもらいたい。うちも、家族も見るに耐えない苦しみを味わいながら、それでも、初心貫徹した。

このような形で、私たちは祖母を看取ったのだが、私たちには
「医療不信」と「在宅医療の限界」が見えた。

私は、こんな医者にはならない。
万人を受け入れる余裕を持ちたいと思った。
少なくとも、持ち上げておいて地獄へ叩き落すようなことはしないと心に誓った。


後日談
上述、整形外科医に「おばあさんのことはご愁傷様でした」といわれた。新年会で。
私はたぶん、すごく冷たい表情で「はぁ。」と一言だけつぶやいた。それ以上のことは言葉にできなかった。
本当は刺し殺したいくらいだ。
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Posted by snow white
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[出来事
comment
癌の完治情報
拝見させていただきました。
またお邪魔します。
癌についての情報を集めていますので、よろしければいらしてください。
2008/06/25 17:44 | | edit posted by 闘病者
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